二二八事件と天安門事件


 今年の2月18日、台湾資料センターで行われた阮美スさんの講演会に参加した。二二八事件で阮美スさんの父親は公安に拉致され、消息不明となった。阮美スさんは父親の行方を捜し続けた。ずっとずっと探し続けた。そして約半世紀を経て、父親の阮朝日氏が処刑されたことを知った。半世紀もの間、ずっと父の消息を探し続け、悲しみ、苦しみ、傷ついてきた。一体どれほど多くの台湾人が、残虐な国民党の独裁政治によって傷ついてきただろうか。
 今年の2月、阮美スさんは二二八事件についての著書を2冊、日本で出版した。私は自分のホームページ上で積極的にこの2冊の本を紹介した。私自身は別に何も得をすることはない。私利私欲とは一切関係なしに、一人でも多くの日本人に、台湾で起こった悲劇を知ってもらいたいと思った。
 アンケートのハガキをまどか出版に送ったところ、なんと阮美スさん本人からハガキが来た。その一部分を引用すると「何卒一人でも多くの日本人に読んでもらいたい。日本を愛し、日本に感謝しているゆえに、私たちの隠されてきた血と涙の歴史を、私のつたない文章で皆様に信じてくださいます事を心より祈っております。命をかけて集めた数々の資料も歴史を残す意味で、役に立つでせう。」と書かれてあった。私がやっていることは単なる気休めや自己満足ではないとおもった次第である。
 さて、話を中国へうつそう。1989年、中国版の二二八事件とも言える悲劇が中国の首都北京で起こった。おそらく知らない人はいないであろう、天安門虐殺事件である。中国共産党の軍隊である人民解放軍は、天安門広場で平和的に民主化運動をしていた数千人の中国人を銃で撃ち殺したり、戦車で踏み潰したりして虐殺した。一体どれほど多くの中国人が悲しみ、傷ついてきたことであろうか。台湾では約40年間、二二八事件はタブーとされてきた。中国ではいまだに天安門事件がタブーとなっている。多くの中国人が、中国共産党の残虐行為によって家族を失い、苦しんできたはずだ。しかしその怒りや悲しみを公に述べることは許されない。ひたすら沈黙して苦しみ続けるしかない。中国共産党の残虐ぶりは健在である。
 台湾で二二八事件が発生してから、公の場で語れるようになるまでに約40年がかかった。天安門事件は発生からまだ17年しか経っていない。すると、中国共産党が行った虐殺事件を糾弾するにはあと20年以上を要するということになるのだろうか。私はそう思わない。二二八事件と天安門事件とでは決定的に異なる要素がある。二二八事件の場合、諸外国の人たちはほとんど知る機会がなかった。当時の台湾は外国との接触は希薄であったし、運輸や通信設備は今ほどグローバルには発達していなかったし、日本は敗戦から間もなく、戦後処理や経済復興などで台湾に関心を持つ余裕はなかったであろう。当時はアジア各地で独立国家が次々と誕生したり、中国では内戦の真っ最中だったりと、激動の時代であった。
 だが天安門事件の場合は違う。当時の中国にはすでにそれなりに外国と深い関わりを持つようになっていた。そして天安門虐殺事件の映像や写真は世界中に報道された。事件直後から、世界の誰もが知ることができたのである。今でもインターネットでは虐殺による生々しい写真などを閲覧することができる。情報量が全く違うのだ。
 それでも中国共産党政権は虐殺を認めない。それどころか、学生による反乱分子が暴動を起こして多数の軍人や警官を殺害したなどと宣伝している。そういうことも確かにあったのかもしれないが、それによって人民解放軍による虐殺を決して消し去れるものではないはずだ。遅浩田国防省にいたっては、96年に訪米した際に「私は事件当時あの場所にいたから自信を持っている。天安門では一人の死者も出ていない」と発言している。
 インターネットで「天安門」で検索するとエラーになるほど言論統制が厳しい中国では、89年当時をリアルタイムに覚えている世代でさえ天安門で何が起きたのかよくわかっていないし、若い世代にいたっては89年に天安門で何かが起きたということさえも知らない。こうして中国共産党に都合の悪い史実は歴史から消し去られ、中共にとって都合のいいことは大々的に宣伝されるか、もしくは物語を創作してまで歴史に組み込む。これは中国共産党の歴史観であり、中共にマインドコントロールされた13億の奴隷人民の歴史観である。
 天安門事件のときに拘束されたある男性は刑務所の中で頭を壁に何度も打ちつけながら次のように叫んだという。「聞こえるものは聞いてくれ。俺は今度生まれ変わるとしたら中国人には絶対生まれてこない。中国人なんて嫌だ。悲しすぎる!」彼と同じように苦しんできた中国人が何千人、何万人といるに違いない。
 時々私は日本人として良心の呵責を感じることがある。一個人の私にはどうしようもないことであるが、日本がかつて中国に対して行った過ちをどうしても忘れなれないのである。天安門虐殺事件後、当然ながら中国共産党政権は世界中で孤立した。先進国からの援助をストップされ、経済制裁も受けた。国内の経済成長率も1%台に低迷した。中国政府は外交的孤立から脱却するため、日本に歩み寄った。そこで実現したのが92年の天皇陛下訪中である。中国政府は天皇陛下を露骨に政治利用した。天皇陛下訪中実現の影響は大きかった。その後、欧米諸国の多くが積極的に中国との政治・経済分野の交流を再会し、中華人民共和国は再び経済成長の道をひた走るようになったのである。経済成長そのものは悪いことではないが、中国共産党独裁政権の正当化、威信拡大に存分に利用されることになったのである。
 今でも世界中の多くの政治化、マスコミ、ビジネスマンは天安門事件を覚えているはずである。にも関わらずあえて触れようとしない。人権よりも金儲けのほうが優先なのである。お金儲けは悪いことではない。だが私は金を儲けるよりもまず、人間が人間らしく生きられること、最低限の人権が保障されることを優先すべきだと考えている。天安門事件は絶対に風化させてはならない。中国共産党が天安門事件について謝罪し、遺族に賠償し、中国国内で天安門事件について自由に語れる社会になるまで、我々は中国共産党の残虐行為を糾弾しなければならないのである。
 だがここで大きな問題がある。天安門虐殺事件について糾弾するうえで、あまりにも大きすぎる問題である。台湾の二二八事件と、中国の天安門事件とではやはり大きく異なる事情がある。中国国民党は40年間にわたって過酷な独裁政治を行ってきたが、そのなかでも二二八事件は最も残虐な事件として台湾国民の記憶に残っている。それに対し、中国共産党が行ってきた残虐行為は文化大革命、大躍進運動、反右派闘争、整風運動、チベット侵略、東トルキスタン侵略などなどあまりにも数が多く、規模が大きいのである。実は天安門事件による数千人の犠牲者など、中国共産党が行ってきた残虐行為に比べれば微々たる物だ。中国共産党が行ってきた残虐行為は想像を絶する規模なのである。残虐行為があまりにも多すぎて糾弾しきれない、やろうとしたら膨大な時間と労力を必要とする、天安門虐殺事件など、膨大な数の残虐行為の中に埋もれてしまう。これが中華人民共和国の現実である。
 それでも私はやめるつもりはない。どんなに微力でも、どんなに時間がかかっても中国共産党の犯罪を糾弾し続けるつもりである。

 

参考資料 天安門虐殺事件関連写真集(グロ画像が多数ありますので注意してください)

http://www.cnd.org/HYPLAN/yawei/june4th/

http://www.cnd.org/June4th/


 




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