民主主義国家日本のさらなる民主化を

 この論説は1週間前に構想を練って、今度の週末に書くつもりでいた。ところがこの一週間の途中に日本のニュースを、というよりかは世界を揺るがす大事件が発生した。北朝鮮がミサイル7発を発射したのだ。日本政府はアメリカ政府と協力して国連での制裁決議締結へ向けて必死である。マスコミも朝から晩まで北朝鮮を批判している。社民党の福島瑞穂まで北朝鮮のキチガイ行為を批判している。日本の北朝鮮に対する姿勢は以前とは大きく変わった。というより根本的に変わった。
 きっかけとなったのは2002年9月に小泉総理が訪朝し、日朝首脳会談が実現した際に金正日が拉致事件を認めて謝罪したことだ。それ以来、日本マスコミの北朝鮮に対する報道姿勢は根本的に変化した。産経やSAPIOは以前から北朝鮮に批判的であったので格別な変化はなかったが、TBSやテレ朝でさえも北の拉致事件や核ミサイル問題やその他の数多くの蛮行を非難するようになった。ニュースステーションなんか北朝鮮の衝撃映像なんかを積極的に報道している。
 北朝鮮による拉致問題は以前は産経など一部のマスコミしか積極的にとりあげていなかったが、今では日本人では知らぬものはいないほどの全国民的関心事になると同時に、日本国の最重要外交課題ともなった。今回のミサイル発射事件についても、北朝鮮を擁護するような、例えば経済制裁は控えるべきなどの意見は日本のマスコミからは全く出てこない。
 まともだ。正常だ。何も問題はない。確かに日本マスコミの北朝鮮報道は正常化した。善悪の判断がきちんとしている。日本政府の対応も以前は考えられなかったほど積極的になった(それでも不十分な面もあろうが)。もちろん日朝間には拉致問題、核ミサイル問題、日本人配偶者帰国問題、不正送金問題などなど懸案事項が山積みで、決して両国関係は正常でも良好でもない。だが日本マスコミの北朝鮮報道はほぼ正常に近い状態になっている。
 日本マスコミもその気になればきちんとマスコミとしての役割と責任を果たせるようだ。良いものは良い、悪いものは悪いと意見を述べられる社会、それが民主主義である。民主主義国家では何か問題があればマスコミや世論が積極的に提起し、解決へ向うよう促す。こうして社会は進歩し、改善し、活性化するのである。
 ところで、今まで北朝鮮問題ばかりについて述べてきたが、本当に日本マスコミの報道姿勢は正常化されたかというと、残念ながらそうではない。改善されたのは北朝鮮問題のみである。その他の問題については、若干改善されば部分も無くはないが、まだまだ客観的で公平で正確な報道姿勢に達していない。
 特に日本のマスコミ界でタブーとなっているのが中国に関する真相報道である。中国のマスコミでの露出度そのものは決して小さくは無いが、中国の真相にはほど遠いものがある。やはり中国の真相を伝えるにはあまりにも圧力が大きいのであろう。報道には優先度や重要度というものがあるはずだ。記者やジャーナリストが取材した、または調査した情報が全てメディア媒体に取り上げられるわけではない。無数に溢れる情報の中で、重要度、優先度が高く、消費者の関心も高い情報が最終的に報道される。私がこの文章を書いている今はちょうどドイツワールドカップの真最中であり、日本国民の関心度が非常に高いので、マスコミは朝から晩まで競って繰り返し報道している。逆に関心を持つ人が少ない情報は報道されずに切り捨てられる。
 残念ながら日本マスコミの中国報道は決定的に客観性、公平性、倫理性を欠いている。重要度が非常に高いにも関わらず、編集者のフィルターによって切り捨てられ、消費者は知るべき情報を入手できずにいる。しかもこれらの情報の多くは報道されれば多くの消費者の関心を呼び起こせるはずなのに切り捨てられるのだから、市場経済の原理にも違反している。具体的にどのような情報が隠されているのであろうか。
 具体的にシャットアウトされている情報としては、まず挙げられるのは中国共産党によるチベット侵略である。マスコミでは日本から遠く離れたイラク情勢やパレスチナ情勢は頻繁に取り上げられるのに、日本に比較的近いチベット情勢はほとんど伝えられない。もちろん中国共産党の自由弾圧はかつてのサダム・フセインを上回るものがあるから、外国人ジャーナリストがチベット本国で自由に取材・報道ができないことはわかる。だが世界がこれほどグローバル化した現在、北朝鮮の内部事情でさえ外国に様々な情報がもたらされているのだから、日本の大手マスコミがチベット情勢をキャッチできないわけが無い。日本マスコミの現状は、チベット情勢を知らないのではなく、知っているのに伝えない、サラリーマンの私ができることさえやらないのである。チベット問題は日本人にとってはパレスチナやイラクやアフガンよりもよっぽど理解しやすく、興味を持ちやすい問題だと思うのだが。
 従軍慰安婦や南京大虐殺などの日中間の歴史認識問題もタブー的要素が強いが、最近ではやや方向性が変わりつつあるようだ。以前は売国左翼の意見は無批判に報道し、保守派の意見はシャットダウンするか、もしくは批判的に紹介するかであったが、長きにわたって様々な議論をしつくしたのち、左翼のでっちあげは暴かれ、概ね保守派の勝利が確定しつつある。そうなってくると大手メディアは売国左翼の意見を無批判に報道するのが難しくなってきた。かといって保守派の意見をそのまま報道する勇気も準備もまだ整っていないようだ。従って最近ではこうした歴史認識問題そのものを曖昧にしてとりあげようとしない傾向がある。
 台湾問題もそうだ。台湾情勢に関する報道はチベットよりかは多いし、タブー度も低いようだが、ただ差し障りの無い事実をささやかに淡々と伝えるだけである。日本の大手メディアはそれほどあからさまに台湾が統一すべしなどとは言わないが、サンデーモーニングの浅井信雄みたいに台湾の民主主義を真っ向から否定して横暴な中国共産党独裁政権の強迫を支持する発言をするような輩もいたりする(詳しくはこちら)。私は日本の大手メディアにはせめて、「中国政府がいくら統一したいからと言ってミサイルを向けて武力で強迫するのはけしからん、武力行使を放棄すべし」ぐらいは強く言ってほしい。普通の民主国家の人間から見れば、民主制度が確立しているのに独立したら武力行使をするなどという理不尽が受け入れられるわけは無い。
 法輪巧の問題は日本のメディアでも相当タブー度が高い。中国沿海部の超高層ビル群や広告の並んだ街並み、賑やかな繁華街などを見ると、まさかこの国であんな恐ろしいことが起こっているなどとは想像しにくいであろう。だが事実として中国国内で行われている残虐行為は中東の独裁国家よりもはるかに過激であり、北朝鮮と同程度かちょっとましな程度である。イスラム系テロリストが人質を殺すときは銃殺するか、ナイフで首を切断する。苦痛に苛まれるのは一瞬である(だからといってテロリストの行為が問題ないなどと言うわけではないので絶対に誤解しないでいただきたい)。だが中国共産党が法輪巧学習者を殺すときはアイロンでジューーー!!とやったり、女性の生殖器に凶器を差し込んだり、生きたまま臓器を摘出して移殖用に用いたりと、1世紀前に廃止されたはずの凌遅刑さながらの残虐行為が行われている。これこそマスコミは率先して伝えるべきニュースではないのか。
 人間社会が完璧でないことはわかる。また、マスメディアはほとんどが民間の営利事業であるから、消費者からの反発を買うような主張、報道もしにくいであろう。だが上記に挙げた事項は消費者から反発を買って視聴率減少や発行部数減少につながる可能性が高いとは思えない。中東情勢はもちろん重要だが、日本人にとっては台湾やチベットのほうがわかりやすいはずだ。台湾問題も国共内戦や中華民国と中華人民共和国の違いや、国連の代表権の問題や、李登輝政権時代の台湾の民主化などをわかっていなければならないので一般人にとってはやや複雑かもしれないが、イスラエル・パレスチナ情勢に関しては、旧約聖書に書かれた天地創造、アダムとエバの創造、ノアの大洪水、神がアブラハムにカナンの地を与えると約束したこと、モーセの出エジプト、ダビデ王とソロモン王の繁栄時代、イスラエル王国の分裂、イエスキリストと12使徒の活動、ローマ軍のエルサレム侵攻、などをわかっていないとニュースを見ても何のことやらわからないはずだ。日本のテレビでイスラエル情勢を基礎から開設する場合、大抵1947年のイスラエル建国から始まるが、あれで問題の根源を理解できる視聴者はほとんどいないであろう。
 歴史認識問題は日本の売国左翼から反発を受ける可能性はあるが、チベット、台湾、法輪巧の問題は日本の世論から反発を受けて不買運動などをされる心配はほとんどない。日本のマスメディアは中国政府の反発を恐れているのである。中国政府に都合の悪い報道をすると、中国大使館の職員がおしかけて机をぶん殴って抗議をする。中国に駐在している支局が嫌がらせを受ける。場合によっては支局を強制的に閉鎖せられて国外追放を受ける。最悪の場合特派員が逮捕される(さすがに外国人には滅多に拷問をしないようだが)。
 こんなことでいいのだろうか。このままでいいのであろうか。重要度や優先度に応じて真実を伝えるのがマスメディアの役割である。だが日本のマスメディアはその重要な職責を放棄している。自由に言論、報道ができない社会は確実に衰退する。食うにも困るような極貧国家であればある程度の独裁政権のほうが手っ取り早く発展できた例も多いが、成熟した先進国家の場合、自由で闊達な言論空間が不可決である。
 客観的に世界の国々を見渡せば、日本は確かにアジア屈指の民主国家である。マスメディアも世論も首相や内閣や与党や警察を自由に批判できる。それによって政治犯として逮捕されることはまずほとんどない。世界の超大国アメリカの批判だってできる。自由な言論によって日本国内の様々な問題があぶりだされ、改善や解決へと向ってきた。だが十分ではない。37位という報道の自由度からもわかるように、北欧諸国などよりは確かに遅れている。まだまだ報道すべき真実、打ち破るべきタブーが存在しているのである。
 これは一ヶ月やそこいらで解決できる問題ではない。時間が必要である。ただ、北朝鮮問題のように、以前は控えめだった報道姿勢が、正常で公平なものに変化した良き前例もある。日本のマスメディアはその責任を果たすべく、危険を冒してでも努力すべきである。それがマスメディアの責務なのだから。最近は対中国報道にも若干の改善傾向が見られる。中国の軍拡や資源略奪に対して批判的な番組を見受けられるようになっている。靖国参拝問題についても、ひたすら批判的な言論を述べるだけでなく、靖国支持派の意見も取り入れるようになってきてはいる。
 我々一般国民も指をくわえて見ているだけでなく、一人一人の地道な努力が必要だ。書籍や雑誌では本来のマスメディアとしての任務を遂行した正常な言論が展開されている例も少なくない。近年はインターネットで様々な情報が飛び交い、一般人のメディアに触れる時間は少しずつテレビが削られ、インターネットへと注がれるようになっている。マスメディアが変わってくれるのをひたすら待つのではなく、我々一般国民一人一人がタブーを打ち破り、民主主義国家日本のさらなる民主化を促進する覚悟と努力が必要だ。私が運営しているサイトなど、1日百程度のアクセスがない。テレビの個々のニュースと比べたら数万分の一であり、趣味や自己満足の域をでていない。それでも私はやめるつもりはない。私のサイトを見て、事実を知ってくれる人、考えを変えてくれる人、行動へと啓発される人が10人でも100人でもいれば幸いである。一人の力は微々たる物であるが、みんなで力を合わせれば必ず大きな力となる。それが民主主義国家であり、時には国をも動かす大きな力となることもあるのである。


 

 

 




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