中国共産党党大会とは?

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 正式名称は中国共産党全国代表大会。中国共産党の最高決定機関で、5年ごとに開催されるのが原則である。中央委員会が必要とみなしたときは前倒しで実施することも可能。党の重要事項を討議するほか、党章の修正や、中央委員会、中央規律検査委員会の選挙が行われる。
今年は10月15日から開催される予定。出席者は2215人、そのうち43の少数民族が選出されている。


過去の党大会
・第一回 1921年7月23日〜7月30日に上海で開催。7月30日に租界の公安から捜査を受けたため、最後の8月2日のみ浙江省嘉興の南湖の船上で乗客を装って開催した。
 出席者は13人。大会では中国共産党の綱領、党の闘争目標、民主集中制の原則や党の規律などが決議された。また、この第一回大会で中国共産党の成立が正式に宣言された。

・第二回 1922年7月16日〜7月23日にかけて上海で開催。出席者は12人。当時の党員数は195人。
 この大会では、中国共産党は無産階級の政党であり、階級闘争という手段を用いて無産階級の専制を政治を確立すること、段階的に共産主義社会の達成を目指すことが目的と定められた。さらに、民主革命段階での闘争目標は内乱を平定し、軍閥を打倒し、国内和平を達成し、国際帝国主義の圧迫を打倒し、中華民族の完全独立を達成し、統一中国による親の民主共和国を建国することが当面の任務とされた。

・第三回 1923年6月12日〜6月20日にかけて広州で開催。出席者30余人。当時の党員数は420人。
 この大会で国民党との合作が決定され、共産党員が国民党員に加入し、同時に中共の独立性も維持することとした。

・第四回 1925年1月11日〜1月22日にかけて上海で開催。出席者20人。当時の党員数994人。
 この大会では大会は国共合作以来の経験・教訓を総括し、労働者運動、農民運動、青年運動、婦人運動の展開計画を制定し、全国に党組織を建設し、あるいは強化して、革命の発展のための必要性に適応することを決定。

・第五回 1927年4月27日〜5月9日にかけて武漢で開催。出席者82人。当時の党員57967人。
 大会では毛沢東が農民闘争を加速させ農民の土地問題を即時解決すべきと提案したが、毛沢東の提案は拒絶された。その一方で4月12日に蒋介石は四一二事変を引き起こして中国共産党は上海と南京にて甚大な損失をこうむっていたことから、陳独秀に対する右傾化批判も展開された。

・第六回 1928年6月18日〜7月11日にかけて、コミンテルンの支援の下でソ連のモスクワで開催される。出席者は142人。
 大会では「中国革命と共産党」、「中国革命と中共の任務」などの報告がなされ、政治、軍事、組織、土地問題、農民問題など14項目の決議案が提出された。これらの決議案では、中国社会が依然として半植民地、半封建社会であることなどが指摘された。

・第七回 1945年4月23日〜6月11日にかけて延安で開催される。出席者は正式代表547人、候補代表208人。当時の党員数は121万人。
 この大会で毛沢東の中共内における地位が不動のものとして確立される。さらに6月19日の一中総会で毛沢東は中国共産党中央委員会主席に任命される。

・第八回 1956年9月15日に北京で開催。中華人民共和国建国後初の全国代表大会。出席者は正式代表が1026人、候補代表が86人。当時の党員数は1073万人。
 この大会では、中国における社会主義社会制度が基本的に確立され、国内の主要な矛盾はすでに中国のプロレタリアートとブルジョアジー間の矛盾ではなく、経済、文化の急速な発展にたいする人民の要求と、当面の経済、文化が人民のこの要求を満たし得ていない現状との間の矛盾であることが指摘された。

・第九回 1969年4月1日〜24日にかけて北京で開催。出席者は1512人。当時の党員数は2200万人。
 この大会では「プロレタリアート独裁下の継続革命の理論」の形成と意義を論述して、この理論に導かれた「文化大革命」の準備と実施の過程を回顧し、文化大革命の偉大な功績が全面的に確認された。
現在ではこの大会は思想上、政治上、組織上の指導方針が全面的に誤りであったと見做されている。

・第十回 1973年8月24日〜8月28日に北京で開催。出席者は1249人。当時の党員数は2800万人。
 この大会では林彪反革命集団の犯罪行為を糾弾し、また、林彪反革命集団にたいする中国共産党中央委員会の処置とその他のあらゆる措置を一致して擁護した。

・第十一回 1977年8月12日〜8月18日にかけて北京で開催。出席者は1510人。当時の党員数は3500万人。
文化大革命の終結が宣言され、今世紀の社会主義現代化建設は新時代の中国共産党の根本的な任務であることが確認された。
 なお、1979年の四中全会で、文化大革命が重大な誤りであったことが確認された。

・第十二回 1982年9月1日〜9月11日にかけて北京で開催。出席者1545人当時の党員数は3965万人。

・第十三回 1987年10月25日〜11月1日に北京で開催。出席者1936人。当時の党員数は約4600万人。
 この大会で社会主義初級段階理論が述べられ、「ひとつの中心、二つの基本」が党の基本路線として確立された。また、政治体制改革方案が確定した。「ひとつの中心、二つの基本」とは、経済建設を中心とし、四つの基本原則と改革解放を堅持するというもの。
 
・第十四回 1992年10月12日から10月18日にかけて北京で開催。出席者1989人。当時の党員数は5100万人。江沢民が「改革解放と現代化建設を加速させ、中国の特色ある社会主義事業の更なる勝利を奪取する」との報告を行う。

・第十五回 1997年9月12日〜18日にかけて北京で開催。出席者2074人。当時の党員数5900万人。
 この大会では法による統治、社会主義法治国家の建設、が強調される。さらにケ小平理論が党章に採用され、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想と共に、中国共産党の重要思想として取り入れられる。

・第十六回 2002年11月8日〜11月14日にかけて北京で開催。出席者2114人。
 この大会では「三つの代表論」が重要思想として取り上げられる。三つの代表論とは、先進的な科学技術、文化、人民の利益を中国共産党が代表するというもの。小康社会を建設し、社会主義現代化の推進を加速し、中国の特色ある社会主義事業の新局面を開拓することなどが提言された。

 

 

 




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