■チベット語群
.船戰奪搬
居住地域
チベット全域
中国四川省綿陽市北部、雅安市西部
ブータンのほぼ全域
ネパールドルポ地方、ムスタン地方
インド ジャンムー・カシミール州(ラダック地方とザンスカール地方)、シッキム州、ヒマーチャル・プラデーシュ州北部
、アルナーチャル・プラデーシュ州
チベットには2100年の悠久の歴史があり、7世紀にはソンツェン・ガンポがインド仏教を取り入れて本格的なチベット王朝を建国した。8世紀後半には東トルキスタンの一部を占領し、唐の都長安を占領するほど勢力を拡大した。その後チベットの王国は分裂を繰り返したが、13世紀にはモンゴルとの関係を深め、モンゴル皇帝とチュ・ユン関係を築き、チベット文化圏は大きく拡大することになる。17世紀にはダライラマによる統治が始まり、代々転生を続けて今日に至っている。有史以来一貫して独立を維持してきたチベットだが、1950年に中国共産党の侵略を受け、以後は植民地支配が続いている。1959年にダライラマ14世がインドに亡命し、ダラムサラに亡命政府を樹立、1989年にはノーベル平和賞を受賞した。2008年3月のラサ暴動によりチベットは世界的な注目を集め、日本でも支持者が激増した。
チベット語は漢・チベット語族チベット・ビルマ語派の代表的な言語で、言語学的には孤立語に分類されるが、膠着語的特質も持っているとされている。2〜4段階の声調を持っている。文字は7世紀にサンスクリット語を起源としてチベット文字が創作された。初期においては主に経典の翻訳に用いられていたが、その後は医学、天文学、文学、哲学、芸術など各分野で大量の文献が残されることになった。
チベットは険しい山岳地帯で面積も広大なゆえ、方言も互いに通じないほど多様となったが、さらに東チベット(主に四川省アバ州とガンゼ州)のチベット族はチベット語以外の言語を話している。具体的に挙げるとペマ(白馬)語、トチュチベット語(黒水藏語/羌語)、3.
ギャロン(嘉絨)語、4. スタウ(道孚)語、5. ゲシツァ(革什扎)語、6. ラヴルン(拉塢絨)語、7.
ダパ(扎土霸)語、8. チョユ(却隅)語、9. グイチョン(貴王京)語、10. ムニャ(木雅)語、11.
アルス(爾蘇)語、12. プリンミ(普米)語、13. ナムズ(納木茲)語、14. リュズ(呂蘇)語、15.
シヒン(史興)語などが存在する。
チベット人はもともとボン教という独自の宗教を信仰していたが、7世紀にインドから大乗仏教を取り入れた。9世紀にはダルマ王が仏教を徹底的に弾圧したが、ダルマ王の死後すぐに仏教は復興を遂げ、各地に壮麗が寺院が創建された。その後はニンマ派、サキャ派、カギュー派、ゲルグ派など数々の宗派が生み出されることとなった。ダライラマとパンチェンラマはゲルグ派である。日本ではチベット仏教をラマ教と呼ぶこともあるが、多くの文献でラマ教という呼称は誤りであることが指摘されている。
チベット人の中には今でもボン教を信仰する者も存在する。また、極少数だがイスラム教徒やキリスト教徒のチベット人も存在する。
チベット仏教は中国共産党によって徹底的な弾圧を受け、約99.9%の寺院が破壊され、僧侶の多くが還俗させられたり殺害されたり辱めを受けたりするなど壊滅的な被害を被ったが、80年代に入って急速な復興を遂げている。
チベットの宗教、文化はモンゴル人にも多大な影響を与え、はるか遠くロシア連邦カルムイク共和国(チェチェン共和国の近く)にまで広がっているほか、雲南の少数民族にも少なからず影響を与えている。
▲瓮鵐兮
居住地域
チベット自治区山南地区ツォナ県
インド アルナーチャル・プラデーシュ州
メンパ族は4万人ほどの人口がいるが、大部分はマクマホン・ラインの南側に居住しており、チベット自治区内には8000人弱が暮らしている。ニンティ(林芝)地区メトク(墨脱)県に5000人が居住し、ツォナ県に600人ほどが居住している。ツォナ県には勒門巴族郷、貢日門巴族郷、吉巴門巴族郷、麻麻門巴族郷などの民族郷が置かれている。ツォナ県の南部はインドが実効支配しており、中共側の領域にしても外国人の立ち入りは完全に禁止されている。
メンパ族は古代からチベット人の支配下に置かれ、チベットの文化、宗教を大幅に受け入れたため、チベット族と大きな差異はなくなっている。そもそもチベット人は彼らを異なる民族とは看做さなかった。実際にダライラマ6世はメンパ族の居住地域出身である。1964年に中共政府によって独立した民族として認定された。
ロパ族
居住地域
チベット自治区ニンティ地区ザユル県
インド アルナーチャル・プラデーシュ州、シッキム州
ロパ族はチベット自治区南部に3000人弱が暮らしており、中国政府が認定する56民族の中で人口は最小である。ロパ族の多くはマクマホン・ラインのインド側に居住しているが、それでも1万人程度である。言語的にはチベット系と言われているが、人口が少なく、尚且つ方言も多様であり、言語については解明されていないことも多い。17世紀からチベット人の支配下に置かれたとはいえ、ロパ族の多くは外界と隔絶された生活を送っていたため、近代文明からも無縁であった。宗教的にもチベット仏教を受け入れず原始宗教を信仰し続けている。近年はロパ族の生活にも徐々に近代化の波が押し寄せていると言われている。
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