チベットの民族構成

 

韓国、北朝鮮、ポルトガル、アイスランドなど一部の国を除いて世界中のほとんどの国は多民族国家である。チベットというとチベット族と漢族のみに焦点が当てられる傾向があるが、日本の6倍の面積、2千年の悠久の歴史を持ち、中国、モンゴル、トルキスタン、インドなどと交流を持ち続けてきたチベットの民族構成は多様で複雑である。チベットについての理解を深めるためにも、チベットの民族構成を概観しておくことは有益であろう。

注1、 このページでチベット全域といった場合、以下の地域を指す
・チベット自治区
・青海省
・四川省アバ・チベット族チャン族自治州、ガンゼ・チベット族自治州、涼山イ族自治州ムリチベット族自治県
・雲南省デチェン・チベット族自治州
・甘粛省甘南チベット族自治州、武威市天祝チベット族自治県

注2、ここに挙げた民族は筆者がチベット国内で一定の規模を持つと独断で判断した民族である。例えば甘粛省武威市天祝チベット族自治県には統計上数十人のウイグル族が居住しているが、ここでは取り上げない。

 

漢・チベット語族
チベット・ビルマ語派

■チベット語群

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居住地域
チベット全域
中国四川省綿陽市北部、雅安市西部
ブータンのほぼ全域
ネパールドルポ地方、ムスタン地方
インド ジャンムー・カシミール州(ラダック地方とザンスカール地方)、シッキム州、ヒマーチャル・プラデーシュ州北部 、アルナーチャル・プラデーシュ州

チベットには2100年の悠久の歴史があり、7世紀にはソンツェン・ガンポがインド仏教を取り入れて本格的なチベット王朝を建国した。8世紀後半には東トルキスタンの一部を占領し、唐の都長安を占領するほど勢力を拡大した。その後チベットの王国は分裂を繰り返したが、13世紀にはモンゴルとの関係を深め、モンゴル皇帝とチュ・ユン関係を築き、チベット文化圏は大きく拡大することになる。17世紀にはダライラマによる統治が始まり、代々転生を続けて今日に至っている。有史以来一貫して独立を維持してきたチベットだが、1950年に中国共産党の侵略を受け、以後は植民地支配が続いている。1959年にダライラマ14世がインドに亡命し、ダラムサラに亡命政府を樹立、1989年にはノーベル平和賞を受賞した。2008年3月のラサ暴動によりチベットは世界的な注目を集め、日本でも支持者が激増した。

チベット語は漢・チベット語族チベット・ビルマ語派の代表的な言語で、言語学的には孤立語に分類されるが、膠着語的特質も持っているとされている。2〜4段階の声調を持っている。文字は7世紀にサンスクリット語を起源としてチベット文字が創作された。初期においては主に経典の翻訳に用いられていたが、その後は医学、天文学、文学、哲学、芸術など各分野で大量の文献が残されることになった。

チベットは険しい山岳地帯で面積も広大なゆえ、方言も互いに通じないほど多様となったが、さらに東チベット(主に四川省アバ州とガンゼ州)のチベット族はチベット語以外の言語を話している。具体的に挙げるとペマ(白馬)語、トチュチベット語(黒水藏語/羌語)、3. ギャロン(嘉絨)語、4. スタウ(道孚)語、5. ゲシツァ(革什扎)語、6. ラヴルン(拉塢絨)語、7. ダパ(扎土霸)語、8. チョユ(却隅)語、9. グイチョン(貴王京)語、10. ムニャ(木雅)語、11. アルス(爾蘇)語、12. プリンミ(普米)語、13. ナムズ(納木茲)語、14. リュズ(呂蘇)語、15. シヒン(史興)語などが存在する。

チベット人はもともとボン教という独自の宗教を信仰していたが、7世紀にインドから大乗仏教を取り入れた。9世紀にはダルマ王が仏教を徹底的に弾圧したが、ダルマ王の死後すぐに仏教は復興を遂げ、各地に壮麗が寺院が創建された。その後はニンマ派、サキャ派、カギュー派、ゲルグ派など数々の宗派が生み出されることとなった。ダライラマとパンチェンラマはゲルグ派である。日本ではチベット仏教をラマ教と呼ぶこともあるが、多くの文献でラマ教という呼称は誤りであることが指摘されている。

チベット人の中には今でもボン教を信仰する者も存在する。また、極少数だがイスラム教徒やキリスト教徒のチベット人も存在する。
チベット仏教は中国共産党によって徹底的な弾圧を受け、約99.9%の寺院が破壊され、僧侶の多くが還俗させられたり殺害されたり辱めを受けたりするなど壊滅的な被害を被ったが、80年代に入って急速な復興を遂げている。

チベットの宗教、文化はモンゴル人にも多大な影響を与え、はるか遠くロシア連邦カルムイク共和国(チェチェン共和国の近く)にまで広がっているほか、雲南の少数民族にも少なからず影響を与えている。

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居住地域 
チベット自治区山南地区ツォナ県
インド アルナーチャル・プラデーシュ州

メンパ族は4万人ほどの人口がいるが、大部分はマクマホン・ラインの南側に居住しており、チベット自治区内には8000人弱が暮らしている。ニンティ(林芝)地区メトク(墨脱)県に5000人が居住し、ツォナ県に600人ほどが居住している。ツォナ県には勒門巴族郷、貢日門巴族郷、吉巴門巴族郷、麻麻門巴族郷などの民族郷が置かれている。ツォナ県の南部はインドが実効支配しており、中共側の領域にしても外国人の立ち入りは完全に禁止されている。

メンパ族は古代からチベット人の支配下に置かれ、チベットの文化、宗教を大幅に受け入れたため、チベット族と大きな差異はなくなっている。そもそもチベット人は彼らを異なる民族とは看做さなかった。実際にダライラマ6世はメンパ族の居住地域出身である。1964年に中共政府によって独立した民族として認定された。

ロパ族

居住地域
チベット自治区ニンティ地区ザユル県
インド アルナーチャル・プラデーシュ州、シッキム州

ロパ族はチベット自治区南部に3000人弱が暮らしており、中国政府が認定する56民族の中で人口は最小である。ロパ族の多くはマクマホン・ラインのインド側に居住しているが、それでも1万人程度である。言語的にはチベット系と言われているが、人口が少なく、尚且つ方言も多様であり、言語については解明されていないことも多い。17世紀からチベット人の支配下に置かれたとはいえ、ロパ族の多くは外界と隔絶された生活を送っていたため、近代文明からも無縁であった。宗教的にもチベット仏教を受け入れず原始宗教を信仰し続けている。近年はロパ族の生活にも徐々に近代化の波が押し寄せていると言われている。


■チャン語群

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居住地域
アバ・チベット族チャン族自治州東部
中国四川省綿陽市北川チャン族自治県

チャン族は中国語では羌族と呼ばれ、古代商王朝の甲骨文にもその名が出てくるが、古代羌族はその後チベット族のほかナシ族などの雲南諸民族として広がっていったと考えるのが妥当であり、古代羌族がそのまま現在のチャン族とは言えないだろう。西暦1038年に西南王国を建国したのはチャン族と言われているが、1227年にチンギス・ハンに滅ぼされてからは独自の王朝は築いていない。現在チャン族はほぼ全員が四川省のチベット側と中国側にまたがって居住している。文化的にチベット族の影響も大きいが、漢族の居住地域とも非常に近いため、伝統行事などには漢族の影響も強い。2008年5月の四川大地震ではチャン族の居住地域と震源地が見事に重なり、壊滅的な被害を受けており、現在でも復興の途上である。

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プミ族は13世紀以降南へ移住し、雲南省北部でチベット族やリス族やナシ族と共に居住してきた。プミ族の言語は概ねチャン族の言語に近く、多くの類似点がある。またプミ語は四川省ムリ県のチベット族の中にも母語としているものが多い。チベット国内でおプミ族の分布はごくわずかである

■イ語群

イ族

イ族の人口は800万人弱、スウェーデンの人口に匹敵する。ということは十分独立国家を築くことができるぐらいの人口を擁しているという意味であり、実際にイ族は2000年にわたって異民族の支配を受けずに独自の社会を維持してきた地域もあるぐらいである(イ族社会全てが独立していたわけではない)。特に738年から937年まで南詔王国を築いていたことはよく知られている。西暦937年にペー族の大理王朝に滅ぼされたが、その後もイ族は各地で勢力を維持し続け、四川省南部、貴州省、広西の北部、ベトナム北部にまで居住範囲を広げている。清王朝は雲南省のイ族を一定の管理下に治めることに成功したが、四川省南部涼山州には全く手が出なかった。この地域は20世紀半までイ族の独立国家が存続し、清朝の支配は名目的なものでしかなく、中華民国時代に入ると完全に中国人の手が及ばなくなってしまった。20世紀前半、イ族は麻薬の生産で財を成し、イ族自信はそれを使わずに貿易によって距離を得て銃器を購入し、1920年代にはイ族の各家庭に普及するようになった。そしてしばしば漢族の集落を襲撃し、彼らを恐怖に陥れた。外部から涼山に侵入するルートは数えるほどしかなく、イ族が完全に掌握していたため、清王朝も中華民国もほとんど手が出なかった。

イ族は厳しい身分制度、奴隷制度が存在し、貴族階級の黒イ、一定の自由と財産ほ保有した奴隷階級の白イ、最下層奴隷などに分かれていた。鳥さえも許可なしには空を飛べないほど厳格な社会であったとも言われている。現在ではこのような身分制度は消滅している。むしろ現在の中国社会ではイ族は麻薬を常習し、昼間でも働かない怠惰な集団と見られがちである。チベット域内には四川省ムリ県で人口の3割を占めるほか、ガンゼ州にイ族の自治郷がある。

リス族

居住地域
雲南省デチェン・チベット族自治州維西リス族自治県
中国雲南省怒江リス族自治州
タイ、ミャンマー、インドなど

リス族の居住地域の中心である怒江リス族自治州は東はチベット文化圏と、西はミャンマー国境の間に位置している。怒江の東隣にあるデチェン州西部は維西リス族自治県となっている。リス族は言語的にはイ族に近いが、ナシ族の圧迫から逃れるために雲南北部に移住したと言われている。リス族は独自の原始宗教を信仰しているが、ミャンマーと国境を接していることもあって20世紀初頭にはイギリス人宣教師もこの地を訪れ、一部はキリスト教を信仰するようになっている。チベット領内のリス族居住地域はまさにチベット文化圏の最南端であり、リス族文化圏と交じり合っていると言えよう。

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居住地区
チベット自治区チャムド地区マルカム県ナシ族郷、四川省涼山イ族自治州ムリチベット族自治県南部、雲南省デチェン州シャングリラ県南部
中国雲南省麗江市

雲南省麗江市はかつていは麗江ナシ族自治県と言ったが、2003年に麗江市に格上げされた。1997年に世界遺産に登録された麗江古城はあまりにも有名だが、それと同時にトンパ文字という世界で唯一現在でも使用されている絵文字を有していることで余りにも有名である。とはいってもトンパ文字は司祭がすでに暗記している物語を記すときに用いられるのであって、手紙のやりとりや本を書いたり、勘定やメモとして用いられることもなく、厳密に文字としての条件を揃えているとは言いがたい。トンパ文字は1400字余りが存在し、使いこなせる人は極わずかと言われている。宗教的にはトンパ教と言う独自の宗教を信仰している。一方でナシ族は歴史的に漢族との関わりも深く、科挙合格者も輩出するなど、漢文化の影響も強く受けている。
チベットでは四川省ムリ県と雲南省デチェン州シャングリラ県とチベット自治区チャムド地区マルカム県にナシ族の民族郷がある。

ペー族

ペー族の主要な居住地域は雲南省大理ペー族自治州である。歴史的には937年から1253まで大理王国を築いたことでも知られているが、フビライ・ハンのモンゴル帝国に服属した。その後も旧大理王朝の段一族はこの地で影響力を保ち続けたが、1390年に明王朝によって滅亡させられた。漢族王朝の支配化に入ってからも大理の主要民族は今日に至るまでペー族である。
チベットでは雲南省デチェン州の人口の5%を占めている。

プイ族

プイ族はタイ系の民族であり、中国最大の少数民族であるチワン族とほぼおなじであると言われている。プイ族の人口300万人とチワン族の人口1700万人を合計すれば2000万人に達し、さらにベトナムにも同じ民族が200万人居住していることから、人口規模はオーストラリアを上回っている。

漢語派

漢族

唐代から漢族とチベット族はそれなりの友好関係を築いてきたが、チベット族と特に交流が深かったのはインド、ネパール、モンゴル、及び満州人の清王朝などであり、漢族の明との関係は比較的希薄であった。1720年に清王朝がラサに駐蔵大臣を設置して以降、実質的な大使に過ぎなかったにも拘らずチベットへの主権を主張するようになった。20世紀前半になると蒋介石は2度にわたってダライラマ13世に中華民国への帰属を勧告しているがいずれも拒否されている。

しかし1950年に中国共産党がチベットを侵攻し、チベットは初めて漢族の支配下に置かれることとなり、1959年にはダライラマ14世がインドへ亡命したため、完全に中国の直接統治下に置かれた。それまで険しい山岳地帯であるチベットに移り住む漢族は極わずかであったが、青海省ではすでに漢族が過半数を占めるまでになっている。
中共による占領後は漢族が実質的なチベットの支配者であり、チベット自治区の最高権力者である共産党書記は一人(イ族)を除いてみな漢族である。特に1989年から1992年までチベット自治区の共産党書記と勤めた胡錦濤は2003年に中華人民共和国の国家主席に就任している。

チベット領域内で漢族が最も多いのが青海省で261万人に達し、同省の人口の55%を占めている。とはいっても西寧市と海東地区に集中しており、青海省の面積の大部分はチベット族などの他民族が主要民族となっている。甘粛省武威市の天祝チベット族自治県では人口の6割以上を占めている。チベット自治区では人口は6%と少数派である。

回族

居住地域
青海省西寧市大通回族土族自治県、海東地区行政公署民和回族土族自治県、化隆回族自治県、海北チベット族自治州門源回族自治県

回族はもともと一つの民族であったというよりも、イスラム教徒が中国語や中国文化の一部を受け入れた結果、回族という民族集団が形成されたのであり、彼らの出自は多種多様であると思われる。チベットでは青海省に自治県をもつほか、ラサ市や四川省アバ州にも居住している。特に青海省では74万人の人口を擁し、同省の人口の14.52%を占めている。

 

ミャオ・ヤオ語族

ミャオ族

ミャオ族は人口900万人の膨大な人口を有している。その居住範囲は非常に広く、湖北省、湖南省、重慶市、貴州省、広西チワン族自治区、雲南省、四川省などにも広がっており、チベット域内にも小規模だが民族郷があるほか、ベトナム、ラオス、タイにもそれぞれ数十万人規模が暮らしている。特にラオスには45万人と、ラオスの人口の1割を占めている。さらにアメリカやフランスにも少なからず移住している。東南アジアや欧米ではモン族と呼称されるのが一般的だが、日本では中国に倣ってミャオ族と呼ぶのが一般的である。当サイトではミャオ族については詳しくは扱わないが、これだけ大規模な集団であればチベット国内にも一定程度居住していても不思議ではなかろう。
チベットでは四川省ムリ県にミャオ族の民族郷がある。

 

アルタイ語族
モンゴル語派

モンゴル族

居住地域
青海省海西モンゴル族蔵族自治州、黄南チベット族自治州河南モンゴル族自治県

モンゴル人は遊牧民族で、一時期は大陸を支配したゆえ、広範囲に居住しており、中華人民共和国には黒龍江省から新疆ウイグル自治区に至るまで自治地域が存在する。
13世紀以降、モンゴル帝国はチベットと密接な交流を図り、チベット仏教を積極的に受け入れるようになった。ダライラマ4世はモンゴルの王子ユンテン・ギャツォが選ばれている。青海省に多数のモンゴル族が居住していることからも、チベットとモンゴルの関係の深さが窺える。四川省ムリ県にもモンゴル族の民族郷が存在する。

トゥー族

居住地域
青海省西寧市大通回族土族自治県、海東地区行政公署互助土族自治県、民和回族土族自治県

トゥー族は事実上モンゴル人とほぼ同じであるとも言われている。主に青海省に居住している。西夏王国以来チベット系民族と交じり合いながらこの地域に居住し、トゥー族を形成して言った。彼らがモンゴル系の民族であることは確かだが、チベット語の影響をも強く受けている。宗教もほとんどがチベット仏教を受け入れて今日に至っている。西洋の言語学者は、トゥー(土)族という呼称は漢族の彼らに対する蔑称であるとしてモングォール族という彼らの自称を用いるべきと主張している。

チュルク語派

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居住地域
青海省海東地区循化サラール族自治県

サラール族は青海省と甘粛省にまたがって居住している。サラール族は東トルキスタンのウイグル族と同じ民族であり、宗教もイスラム教を信仰している。ウイグル族とサラール族の違いは居住地域が異なっていることが挙げられる。東トルキスタンと青海省は境界を接しているが、サラール族は広大な青海省の東端に住んでいるため、ウイグル族の居住地域からは遠く離れている。13、4世紀ごろに現在の地に移住したと考えられているが、どのような経緯を経たのかは良く分かっていない。

 

チベット域内で、チベット族以外の民族の分布を見ると、
チベット自治区にはメンパ族とロパ族
青海省には回族、モンゴル族、トゥー族、サラール族
四川省にはチャン族、イ族
雲南省にはリス族、ナシ族、ペー族などが居住しており、各地域に特色があって興味深い。

  

 


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