概説 東トルキスタンの歴史@ はじめに
打倒中国共産党トップページ
 

 わが国ではシルクロードや中央アジアに焦点をあてて記述された歴史の書物は数多い。書店に行ってもそれほど多くはないかもしれないが、図書館のホームページで検索すれば膨大な量が出てくるはずだ。だが東トルキスタン、もしくは新疆ウイグル自治区に絞って書かれた歴史の本は今谷明『中国の火薬庫』など、ごくわずかである。そもそも東トルキスタンの歴史をまとめるのは困難である。日本や韓国やチベットと違い、東トルキスタンの歴史には連続性が感じられない。チュルク人、モンゴル人、ペルシャ人、中国人、満州人など様々な民族、王朝が入り乱れ、あるときは東トルキスタン内に首都があるかと思えば、あるときは首都は西に、あるときは東に首都があった時代もある。このような現象は中央アジア諸国全般に共通する現象である。そのため、旧ソ連から独立したウズベキスタンでは、現在の国境線を重視し、その境界内でおこった事実を国の歴史として捉えている。

 今回私も基本的には東トルキスタンの境界内で起こった事実を東トルキスタンの歴史と捉えてまとめるつもりである。しかし完全に境界内に限定することもまた不可能だ。やはりウイグル族という民族にも焦点を当てるべきだし、東トルキスタン域外に根拠地があって東トルキスタンを支配した王朝については、域外の事実もある程度取り上げなければならない。

 この「概説 東トルキスタンの歴史」は読者に入門レベルの知識を提供するものであり、決して学術論文ではないことをお断りしておきたい。私の目的は専門家による東トルキスタンに関する学術研究ではなく、一人でも多くの日本人に東トルキスタンに関心を持ってもらい、運動に協力していただくことである。したがって短すぎず長すぎず、そしてこの非常にわかりにくい東トルキスタン史をできるだけわかりやすくまとめる予定である。

 古代、東トルキスタンは匈奴、漢、鮮卑、柔然などに支配されてきた。これらの王朝時代についてはもはや取り上げる必要性を感じない。漢はもちろんのこと、その他の王朝もチュルク系民族による国家ではない。もちろんそれ以降の王朝にもまた、チュルク系ではない王朝はあるが、突厥時代から把握すれば十分であると判断した次第である。



東トルキスタンの歴史

@はじめに

A突厥

B遊牧ウイグル帝国

C天山ウイグル王国

Dカラハン朝

Eカラ・キタイ

Fモンゴル帝国と・チャガタイハン国

Gモグーリスタン・ハン国とヤルカンドハン国

Hジュンガル帝国

I清朝の東トルキスタン支配

Jヤクブ・ベクの政権と新彊省

K楊増新の安定期

L東トルキスタン・イスラム国

M「新彊王」盛世才

N東トルキスタン共和国

O暗黒の時代

 

 

 

 




100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!