概説 東トルキスタンの歴史C 天山ウイグル王国
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遊牧ウイグル帝国が滅亡すると、ウイグル人は3つのルートにわかれた。そのうちの一部は張掖に甘粛ウイグル王国(870〜1036)を築いた。現在甘粛省に1万3千人が居住するユグール族は彼らの末裔であると言われている。当サイトではこれ以上扱わない。 西遷したウイグル人は天山ウイグル王国(西ウイグル王国、高昌ウイグル王国とも言われる)を、さらに西遷したウイグル人はカラハン朝を築いたと言われている。カラハン朝については後述し、ここでは天山ウイグル王国について述べる。 遊牧ウイグル滅亡後に西遷した支族がビシュバリク(現在の昌吉)を拠点に850年に築いたのが天山ウイグル王国である。西ウイグル王国や高昌ウイグル王国などとも呼ばれる。天山ウイグル王国は北はアルタイ、南はロプノール、西はカシュガルにまで広がる領土を支配するなど強勢を誇ったとも言われる。 天山ウイグルの建国以来、9世紀から12世紀前半までは天山ウイグル王国が東トルキスタンの主要な王朝であったことは間違いない。しかし残念ながら天山ウイグル王国については謎が多く、その王統すら明確になっていない。しかしこの時代に東トルキスタンにおけるチュルク系民族の定住化が確立したという点が極めて重要である。これ以降現在に至るまで1200年間、ウイグル人が東トルキスタンの主要民族であり続けている。 なぞの多い天山ウイグル王国だが、文化的には大いに栄え、ソグド文字を改良したウイグル文字が使用され、後のモンゴル文字や満州文字に受け継がれる。天山ウイグル時代の当初、ウイグル人は主にマニ教を信仰していたが、 10世紀後半ごろから次第に仏教が盛んになり、ベゼグリグ千仏堂などの優れた仏教遺跡を残している。
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東トルキスタンの歴史
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