古代チベット王朝が滅亡後、9世紀後半から1世紀半ほどの間、チベットの年代記は王の系譜を残すのみで(それすら不完全なものしか残っていない)、詳しいことはほとんどわかっていない。その後もチベットは小王国が割拠する時代が、モンゴル帝国が勢力を伸張するまで400年ほど続くことになる。ただし、チベットの古代王朝滅亡時、唐もすでに弱体化しており、908年に滅亡した唐は五大十国時代というさらなる混乱の時代を迎えていたので、チベットが外部から侵略をうけることはほとんどなかった。
西暦840年に西チベットに誕生したグゲ王国は、荒廃した仏教の復興に取り組み、カシミールに留学生を送った。帰国した留学生のうち、リンチェンサンポはは西チベットにトディン寺やタボ寺を建立し、ゴク・レクペーシェラプは1073年に中央チベットにサンプ寺を建立した。また1042年にはベンガルから導師アティーシャを招いた。アティーシャは1054年に亡くなるまで、グゲ王国のほか、サムイェ、ラサ、ニェタンなど中央チベットでも仏教の復興に取り組んだ。
この時期、チベット人は隠匿されていた経典を再発見し、古い宗派に対する新しい宗派が次々と勃興した。1054年にカギュー派が、1073年にサキャ派、1100年カルマ派1175年ディクン派が創始されている。
特に1073年にコンチョクゲルポ(1034〜1102)が創始したサキャ派は、息子のクンガーニンポ(1092〜1158)、さらにその二人の息子へと受け継がれ、コンチョクゲルポのひ孫にあがるサキャパンティタ(1182から1251)の時代に政治的にも学問的にも大いに発展することになり、特にモンゴル帝国の庇護を受けてからしばらくはチベットの支配層にまで上り詰めることになる。
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